今日はまず、ゆゆかさんのブログの記事を紹介したいと思います。
『悲しい』『辛い』という感情を感じることが多く、『楽しい』という感情がどういったものなのか時々わからなくなる、というゆゆかさん。その原因として、『悲しい』『辛い』という感情が、習慣化されていることに気付きます。考え方の習慣を変えて、意識して『楽しい』を感じていこう、『楽しい』を感じる練習をしていこう、という記事です。
(素直な言葉でご自身の内面をまっすぐに見つめた、ゆゆかさんの記事を是非お読み下さい。)
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「感情の習慣化」……なるほどなぁと思いました。恐らくほとんどの人が、程度と方向性の差はあれ、無意識にしているのではないでしょうか。
私はゆゆかさんとは真逆で、『悲しい』『辛い』系の感情が、鈍麻してしまっています。育った家庭が複雑だったせいか、病気との生活が長かったせいか、あるいはもとからの性質のせいか、『悲しい』『辛い』系の感情を感じにくい(感じても持続しにくい)のです。
さぞかしお気楽な人生だと思われるでしょうし、実際、お気楽な人生だと思います。でも、いいことばかりではありません。
『悲しい』『辛い』系の感情に鈍感だと、当然のことながら、自分にかかっているストレスに気付きにくくなります。それがこの病気を招き、長引かせている一因でもあるでしょう。
そして今、私が一番困っているのは、『悲しい』『辛い』系の感情が自分で抱えきれないほどになると、その期間の記憶が空白になってしまうことです。数ヶ月単位で記憶が飛ぶこともあります。
ある日ふと、昨日までの自分が、どんな気持ちでどんな生活をしていたのか、思い出せなくなります。家族に聞くと、体調は悪そうだったけれど、最低限の日常生活は送れていたし、会話も普通にできていたと言うのですが……。
医師からは、これはストレスに対する正常な防衛反応の範囲内で、多重人格障害(解離性同一性障害)ではないと言われています。しかしこれが、自らのアイデンティティーをおびやかす、危機的な経験であることに変わりはありません。
「今日の自分」は「昨日の自分」と同じなのか、連続性は保たれているのか、絶えず確認する癖がつきました。私は、この徒労で終わりのない作業を続けながら、ところどころすっぽ抜けた人生を生きていくんだと思います。
「感じないからといって、存在しないわけではない」
ゆゆかさんの記事を読んで、やっと自分の言葉にして考えることができました。そして、メンタルの病気を持たない方にこそ、この言葉を伝えたいと思います。