朝から晩まで、生まれてから死ぬまで、人生とは選択の連続である。結婚や就職など、自覚できる大きな選択もあれば、災害や事故のただ中で、自覚はできないが重大な結果を招く選択もある。それら全ての選択を総称して、人生と言うのだろう。
ここで話題にするのは、自覚できる方の選択である。私は、自分の選択についてあまり後悔しないタイプの人間だが、それでも「選ばなかった方の人生」に、しばしば思いを馳せる。パラレルワールドの自分は、現実の自分より少し輝いて見える。私にとって、密かな楽しみの時間だ。
四十路の専業主婦(もどき)の私が、人生の大きな選択を迫られることは、最早ほとんどない。しかし、これは「選ばない」という消極的な選択をしているのと同じである。選択につきものである変化を、面倒くさがっているのも事実だ。退屈な人生に飽き飽きしているくせに、それを選んだのは、他でもない自分なのだ。
日常の中に、人生を大きく変えるような選択なんて、滅多にない。けれど、全くないわけではない。何かを選択する(あるいは選択しない)際に、常に自覚的であろうと思う。これまでと、これからの人生に責任を持つために。
選んだ方の人生を手放すのは、思ったより簡単だろう。選ばなかった方の人生にも、案外ひょいっと飛び込めるものなのかも知れない。そう思えば、見飽きたはずの日常も、少し愛おしく思えてくるから不思議だ。