とんかつにっき|うつ・パニック障害18年生

とん活(お布団で過ごす時間をもっと楽しく!活動)はじめました。

巨像恐怖症(2)

前回の記事『巨像恐怖症(1)』で書いた通り、私は「人の形をした大きい物」が怖い。この国ではさして珍しくもない寺院の仁王像に恐怖し、初詣ひとつにも大変な苦痛を伴う。

そんな私が、今まで訪れた最凶の観光スポットを、いくつか紹介しようと思う。

 

大船観音(神奈川県鎌倉市)

胸像ゆえに、顔面の迫力は他の追随を許さない。白い像の宿命として汚れが目立つ。両まぶたから流れた雨水の跡は、観音像の涙にしか見えない。夜間はケバケバしいライトアップが施され、より一層の恐怖心を煽る。JR大船駅からもその姿を拝むことができるが、遠目に見ることも避けたい強敵。

 

三十三間堂(京都市)

一つ一つの仏像の大きさはさほどでもないが、1,000体以上がずらっと並んだ時の威圧感は想像を超える。仏像の無数の視線を感じながら120メートルもの順路を辿らねばならず、一度入ったら最後、簡単には逃げ出せないお化け屋敷のような怖さがある。国宝だからといって、むやみに有り難がってはいけない。少しでも霊感のようなものがある人なら、全力で回避すべき場所。

 

某寺院の涅槃像(京都市)

古都をぶらりと歩いていると、街角に突如現れる巨大な涅槃像。涅槃像は大きさの割に高さがないので、ステルス性が高い。また、こちらは警戒心ゼロのため、食らうダメージも強烈である。不運にも夜に遭遇したため、私の生涯のトラウマとなった。当時10歳前後だったこともあり、寺院名も場所も、涅槃像が現存するかどうかすら不明だが、京都に行かれる際は注意して頂きたい、最凶の物件。
⬆︎お心当たりのある方、是非ご連絡下さい

 

 

それにしても、私はなぜこんなにも巨像を怖がるのだろう。理由はおそらく非常に単純だ。サシで戦ったら勝てそうにないから、怖いのだ。

その証左として、人より小さいか等身大までの像には、私はほとんど恐怖を感じない。ワンパン余裕* か否かがひとつの基準であることは間違いない。相手の戦闘力を測るスカウターが、無意識下で常に働いているらしい。

*〖ワンパン余裕〗ワンパン=ワンパンチの略。一発殴るだけで余裕で倒せるさま。またそのような相手。

 

太古の昔、ヒトより大きな生き物が、生死に直結する脅威であったことは想像に難くない。脈々と受け継がれた原始のDNAが、戦ったらヤバい相手として巨像を認識し、アラートを鳴らす。私の目下の関心事は、このアラートの精度についての問題である。

 

例えば、太陽の塔を間近で見た時、私はどんな反応を示すのだろうか。太陽の塔は大きい。だが、人に見えるかと言うと、あまりに抽象的である。「人の形をした大きい物」を前に、恐怖を感じるギリギリのラインを攻めてみたくなったのだ。

 

先月、太陽の塔を見てきたばかりの夫は、大きいふなっしーのようだったと言う。しかし、ふなっしーは人であるかどうか微妙なので、何の参考にもならない。ちなみに私は、ふなっしーは怖くない(というか、かなり好き)。

 

お土産の『太陽の塔ガイド』をパラパラとめくりながら、好奇心と恐怖心がせめぎ合う、ゾワゾワする感覚を楽しんでいる。巨像恐怖症でなかったら味わうことのなかったこのスリル、意外と悪くないかも知れない。

 

 

参考資料

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こわい(大船観音)

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こわくない(ふなっしー)

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わからない(太陽の塔)