前回の記事『巨像恐怖症(1)』で書いた通り、私は「人の形をした大きい物」が怖い。この国ではさして珍しくもない寺院の仁王像に恐怖し、初詣ひとつにも大変な苦痛を伴う。
そんな私が、今まで訪れた最凶の観光スポットを、いくつか紹介しようと思う。
大船観音(神奈川県鎌倉市)
三十三間堂(京都市)
某寺院の涅槃像(京都市)
それにしても、私はなぜこんなにも巨像を怖がるのだろう。理由はおそらく非常に単純だ。サシで戦ったら勝てそうにないから、怖いのだ。
その証左として、人より小さいか等身大までの像には、私はほとんど恐怖を感じない。ワンパン余裕* か否かがひとつの基準であることは間違いない。相手の戦闘力を測るスカウターが、無意識下で常に働いているらしい。
*〖ワンパン余裕〗ワンパン=ワンパンチの略。一発殴るだけで余裕で倒せるさま。またそのような相手。
太古の昔、ヒトより大きな生き物が、生死に直結する脅威であったことは想像に難くない。脈々と受け継がれた原始のDNAが、戦ったらヤバい相手として巨像を認識し、アラートを鳴らす。私の目下の関心事は、このアラートの精度についての問題である。
例えば、太陽の塔を間近で見た時、私はどんな反応を示すのだろうか。太陽の塔は大きい。だが、人に見えるかと言うと、あまりに抽象的である。「人の形をした大きい物」を前に、恐怖を感じるギリギリのラインを攻めてみたくなったのだ。
先月、太陽の塔を見てきたばかりの夫は、大きいふなっしーのようだったと言う。しかし、ふなっしーは人であるかどうか微妙なので、何の参考にもならない。ちなみに私は、ふなっしーは怖くない(というか、かなり好き)。
お土産の『太陽の塔ガイド』をパラパラとめくりながら、好奇心と恐怖心がせめぎ合う、ゾワゾワする感覚を楽しんでいる。巨像恐怖症でなかったら味わうことのなかったこのスリル、意外と悪くないかも知れない。
参考資料
こわい(大船観音)
こわくない(ふなっしー)
わからない(太陽の塔)