とんかつにっき|うつ・パニック障害18年生

とん活(お布団で過ごす時間をもっと楽しく!活動)はじめました。

よしこおばちゃんのこと

7月のカレンダーの片隅に、小さな睡蓮の絵を見つけた。ふと不吉な予感がした。何をしていても落ち着かない。こんな風に胸騒ぎがする時は、決まって悪い知らせが届く。5月の長い長い連休のあとに、よしこおばちゃんが脳梗塞で倒れたという一報が入った時もそうだった。

 

よしこおばちゃんは、祖母の姉(私にとっては大おば)にあたる人だ。世間的にはかなり遠い親戚だと思う。住まいもかなりの遠方だ。それでも私にはとても近い、大切な人だ。

 

電話、葉書、節目節目にはお祝いのポチ袋が入った封書、地元の美味しいものや手作りの品を詰めた小包等々。おばちゃんは遠くから、いつも精一杯の愛情を送ってくれる。

 

おばちゃんが牛乳パックに和紙を貼って作った小物入れは、リビングのテーブルで活躍中である。一番心に残っているのは、まだ幼かった娘の写真を見て描いたという水彩画だ。お世辞にも上手とは言えないその絵も、私たち家族には何より嬉しい贈り物だった。

 

姪・姪の娘・姪の孫にまで愛情を注ぐことが、果たして私にはできるだろうか。

 

先月末、とりわけ一昨日から、私の胸騒ぎはひどくなった。天候不順のせいだと自分に言い聞かせつつ、やはりおばちゃんのことがいつも心にあった。鬼籍に入ってから一度も夢枕に立つことのなかった祖母が、祖父の運転する白い車で颯爽と現れる夢を見たのも気になった。

 

そして先程、おばちゃんの訃報が入った。

令和元年7月4日(午後5時51分)没。享年99(満98歳)。

 

そう遠くない未来にこの知らせを聞くだろうと、心の準備はできているつもりだった。それなのに、いま私は泣いている。

 

おばちゃんが最後にくれた2枚の葉書。娘の大学受験の直前と、受験の最中にくれた葉書。見えない目と震える手で書いたその葉書には、小さな押し葉が貼ってある。身体が弱り、絵葉書を買いに行くこともままならなくなったおばちゃんが、訪問介護のヘルパーさんに頼んで拾ってきてもらったものだ。

 

私はどうして返事を書かなかったのだろう。娘が大学生になったことは母を通して聞いていたはずだが、無事受験が終わりましたの一言を、なぜ自分で伝えなかったのだろう。

 

葬儀は地元の近親者のみで、家族葬にすると聞いている。私が見送ることは叶わないが、おばちゃんがきっとそうしてくれていたように、遠くからそっと祈りたい。