気の向くままに書いていたら、今日も大おばの話になりました。お時間があれば、昨日の記事も併せて読んで頂けると幸いです。
死の悲しみは誰かと共有することで和らぐという言説は、どうやら本当のようです。昨晩は遅くまで、母と長い長いLINEをしました。長くなるのなら、途中で電話をすれば良かったのかも知れません。しかし、お互い泣きながら交わすLINEというのも、なかなか乙なものです。
電話と言えば、祖母たち三姉妹は無類の電話好きでした。記憶の中の祖母は、いつもどちらかの大おばと電話をしています。受話器を耳に、ふるさとの言葉で話している祖母は、まるで少女のようです。声を弾ませ、笑い、ふいにしんみりしたかと思えば、また涙が出るほどに笑う。電話の向こうの大おばたちも、きっとそうだったに違いありません。
あれは考えてみれば、遠距離通話が3分で300円以上した時代のことです。2000年代になると、同一会社の回線同士なら通話料が無料になる、IP電話が登場しました。どこからそんな情報を仕入れたのか、三姉妹は足並みを揃えていち早く導入し、周囲を驚かせたものです。電話代の心配から解き放たれた三人は、数十年ぶんの心残りを埋めるかのように、より精力的に電話に励むようになります。
IP電話という最強の味方を得て、永遠に続くかと思われた三姉妹のお喋りも、全ての物事がそうであるように、やがて終わりが訪れます。上の大おばが認知症になったのとほぼ同時期に、祖母がガンで亡くなりました。今から8年ほど前のことです。
下の大おばの落ち込みようは大変なものでした。心配した母が電話の相手役を買って出ましたが、二人の姉妹の代わりにはなれません。心身ともに弱り切った大おばは「早く◯◯(祖母)のところへ行きたい」と母に漏らすようになりました。そして元号が令和に変わったのを見届けたかのように、5月の半ばに脳梗塞で倒れ、昨日息を引き取りました。
大おばと祖母は天国で再会できたでしょうか。二人でまた思う存分電話ができるなと想像して、ふと可笑しくなりました。これからはもう電話の必要がないほど近くに、ずっと一緒にいられるのです。冗談が好きな大おばに、笑い上戸の祖母。二人の姉妹は童女のようにはしゃぎながら、下界の私たちを見て笑い転げているに違いありません。
私のスマホのアドレス帳から、大おばと祖母の番号が消えることはないでしょう。あんなに電話が好きだった姉妹のことです。いつか間違えて電話をかけてくるような気がしてならないのです。