「そろそろ誰々の誕生日だな」に混じって、「そろそろ誰々の命日だな」と思うことがポツポツ増えて来ました。
誕生日と同様、365日のどこかに必ず存在する自分の命日。もちろんそれを知る術はありません。一年に一度やって来る自分の命日を普段通りに過ごし、それを何十回か繰り返して、一生を終える。当たり前のことですが、トイレのカレンダーを眺めるたびに不思議を感じずにはいられません。
ここで重要なのは、それがあってもなくてもいい「トイレのカレンダー」であるという点です。家族の予定が書かれたリビングのカレンダーは、思索の友にはなり得ません。我が家で一番どうでもいいカレンダーを眺めながら、命日について何千回か考えて、一生を終える。そういう人生も悪くないんじゃないかと最近思うようになりました。
今日も暇人のつぶやきに付き合ってくれてありがとう (о´∀`о)