私は、いわゆる「鬼嫁」というジャンルにカテゴライズされるタイプの人間らしい。その分類の正誤はさておき、夫が醸し出す「虐げられし者のオーラ」が、私を「鬼嫁」に見せていることは確かである。
例えば、犬を散歩させている女性がいるとする。彼女がどんなに善良そうに見えても、傍の犬が弱々しく怯えていたら、つまり「虐げられし者のオーラ」を漂わせていたら、人はどう感じるだろうか。彼女が犬に何かひどい仕打ちをしているのではないか、そう考えるのが自然だ。実際のところ、彼女に全く非が無かったとしても。
それと全く同じ状況が、私たち夫婦においても起きている。夫よりほんの少し弁が立ち、夫よりほんの少しオープンな性格を、完全に逆手に取られてしまった。
夫を犬に例えている時点で十二分に鬼嫁だと言われれば、返す言葉もない。だが、みじめな犬に成りすます夫も、相当な策士である。こんな調子なので、夫の悪業を周囲に話しても、全く相手にしてもらえない。
私の観察によると、「虐げられし者のオーラ」を発している人間は、同じオーラをまとう人間を瞬時に察知することができる。そして言葉を交わさずとも共感し合えるという、ガンダムで言うところのニュータイプさながらの能力を持っている。
具体例として挙げるのは、私の元主治医である。彼もまた、戦略的に恐妻家を装っていると思われる人物だが、夫が診察に同伴している時は「旦那さんも大変ですね……」というシンパシーを、言外に匂わせているのがわかる。夫も「妻がこんな感じなので苦労してます……」と無言で応える。私の頭上で、間違いなく二人は共鳴している。「鬼嫁」がそれに気付かないとでもお思いか。
確かに私は、三歩下がって歩くような女ではない。夫婦関係はイーブンを是としている。人の目を気にして自分の性格を変えるなんて、したくもないし、するつもりもない。結局、この気の強さこそが「鬼嫁」扱いされるゆえんなのだと思う。
しかし、その程度のことで「鬼嫁」と呼ばれるのならば、私は一生「鬼嫁」で構わない。「鬼嫁」とは、いまだ男性優位の風潮が残る社会の中にあって、自分らしさを貫き通した女性にのみ与えられる、勲章の如き肩書きではなかろうか。

……などと今日やたら吠えているのは、夫がある研究会に参加するため、泊まりでリゾート地に出掛けたからです。社会人大学院とは結構なご趣味をお持ちですこと!(鬼嫁感)お土産はiPadで構いませんことよ!(圧倒的鬼嫁感)
もう、本当につまらない。