とんかつにっき|うつ・パニック障害18年生

とん活(お布団で過ごす時間をもっと楽しく!活動)はじめました。

人に何も求めないと言いつつ求めている話

人に何も求めないのは楽だ。

友人知人はもちろん、最近は親兄弟にすらほとんど何も求めていない。だから彼らが何をしていても温かく見守ることができる。私への行動・言葉の全てが有り難く思える。正義感を全力で逆撫でされない限り、滅多に腹を立てる必要もない。

 

ずいぶんと上から目線だね、と受け取られるかも知れない。

人に一方的に何かを求め、裏切られたと勝手に騒ぎ立てるような茶番を、私は嫌というほど見て育った。そんな中にあって、求められたことには全力で応えようとする努力が、結局は仇となった。いつしか病を得て、人に与えることが難しくなった自分が、徐々に人に求めなくなったのは、ごく自然なことだった。

 

そんな私がまだ少し何かを求めてしまうのが、大学生の娘だ。

子供というには成長し過ぎているし、大人というにはあまりに幼い。夢を応援しているつもりで、ああしたらいいんじゃないか、こうしたらいいんじゃないか、現実はあなたが思っているほど甘くないよ、とつい口を出してしまう。

一方、いつまでもひな鳥でいてほしい願望もある。遅かれ早かれ巣立ちの日はやって来るのに、空の巣を想像するのが今は怖い。

 

そしてただ一人、例外中の例外は夫だ。

夫に関しては多くのことを諦めてきたが、全てを諦めきることはできない。いまだに何かを求めてしまう。つまり、執着している。未熟者の私は、執着なしに35億分の1の関係性を保つことはできない。「毒を食らわば皿まで」という言葉が、今の心情にあまりにしっくり来るので笑ってしまう。我ながら面倒くさい、執念深い女だと改めて思う。

手放せば楽になる。わかってはいるけれど、手放したら最後、もう同じ世界では永久に巡り会うことはないのだろう。それくらい、遠くにいる人だ。