大変なことに気が付いてしまった。
1年以上洋服を買っていない。
さらに付け加えると、去年の春に買った白いカーディガンを最後に、それより前の買い物は思い出せない。道理で最近、同じ服ばかり着ているわけだ。鈍い。鈍すぎる。
私の祖母は、身に付ける物には大変なこだわりを持つ人だった。自分に似合う洋服の色・柄・シルエット、それに調和するアクセサリー・バッグ・靴に至るまで、一切の妥協を許さなかった。足が悪い祖母のために家族が買い求めたシニア向けの靴は、結局箱に仕舞われたままであった。晩年はがんを患ったが、通院の帰りには(それがどんなに辛い治療の後でも)必ずショッピングを楽しみ、それは死の1ヶ月前、ホスピスに入るまで変わらなかった。
そんな祖母の一人娘である母は、その精神を余すことなく継承し、さらに先鋭化した。◯◯(地名)のファッショニスタといえば母のことである。彼女が今までどれだけのお金を身に付ける物に費やしたか、そんな問いは野暮というものだ。彼女はファッションの新たな可能性を常に追求していないと死んでしまう生き物だし、周囲もまたそんな彼女に元気を貰っているのだから。
要するに「スーパー着道楽」の血を受け継いでいるはずの私が、この体たらくではまずい。非常にまずい。メールボックスにはプレセールの単語がちらほら見られる時期になってきた。
街へ出よう。洋服を買おう。
ブログを書いている場合じゃない。